
始めに
対戦ゲーマー然り
ネットゲーマー然り
スマホゲーマー然り
携帯ゲーマー然り
ゲーセンゲーマー然り
今回ネタに挙げた事はLoLをインストールする前から
それこそドラクエRTA界隈に居場所を変えた2012年5月頃(コミュニティ設立日より)から知っていた事だった
そこに至るまでCBに4年ほど浸かっていたので
そもそもは2008年
つまりは8年前からこの世界はこういう所だと私は知っていたのだ
RiotがどれだけLoLをエレクトロスポーツで在る事を押し出したとしても
私達がマッチングする相手はスポーツマンシップに則ったスポーツマンではなく
跳梁跋扈する烏合の衆なのだ
尤も、スポーツマンが皆、スポーツマンシップに則っているかと言われればそうではなく
正直私も、部室に隠れてタバコを吸っているような連中を思い出す辺り
スポーツマンに色々偏見を持ち合わせているのは認めよう
だが世俗の凡人が自己研鑚に喜びを見出し
誠実さや謙虚さを常に持ちあわせているかもまた否であるというのも事実だろう
嗚呼、つまり
人は人間関係を自分の手で選べるし
今の人間関係は自分が選んだ結末なのでその責任がある
故にクソッタレな人間ばかりが集まっているのを知っていて
そこに居座る事の最大の愚か者は
紛れも無く自分自身だと痛感させられる
自らが今までより前に進んでいるかと問いかけた時
選べも操作も出来ない”結果”の責任を押し付け合う世界に根を張る事が
果たして成長していると言えるのか
人は自分で選んだ行動で変えられるのは自分自身だけなのに
自分の都合の良いように他者を操作しようと悪態を吐く環境に身を置き続けるのは
果たして健全だと言えるのか
ゲームシステムは私にとって都合が良かった
正直、完璧だとさえ思いもした
だがどうやら、ネタとしての完璧さよりも
人間性を損なう危険さの方が優っていたらしい
まあ、一寸考えれば分かった事では在るが
繰り返そう
他人は操作出来ない
行動を選び、変えられるのは自分自身だけである
自分の為に選んだ行動の責任は自分にある
故に私は再び身を引く事を選ぶのだ
人格に問題が有ったとしても、ゲームで強ければ英雄に成れる場所とは違い
現実では歪んだ人格の穴埋めを、ゲームの強さは補ってくれないのだから
”神よ変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。”
――ニーバーの祈り より

